ブンシローは旧市街を訪れるたびごとに古都チェンマイに住んでいることに喜びを感じています。
中國山西省の城郭都市平遥は世界文化遺産になった後、急速に観光地化進展
下の写真は最近、観光都市として急発展した平遥のメインストリートです。
1993年に私が訪れた時の平遥には観光客らしき人は一人も見当たりませんでした。
道路の多くはは舗装されておらず歩きずらく、自動車はわずかで、下肥を積んだ馬車が走っていました。
私の子供の頃の昭和20年代にタイムスリップしたように感じたのです。
町を取り囲む城壁(約6キロメートル)の上の通路を約2時間かかって一回りしたのですが、観光客らしき人にも、それ以外の人にも全く、出会いませんでした。
出入り口に門番もおらず、勝手に入り、勝手に出てきたのです。
観光客目当てのこぎれいな店もホテルも全く見当たりませんでした
。
100年か200年前とあまり大きな変化がない、時代に取り残された町であったのです。
2022年の今、インターネットで平遥のことを調べ吃驚しました。
上の写真で見るように道路も舗装されて、観光客あいての綺麗な店が並んでいます。
メインストリートは歩行者天国となっています
1997年に世界文化遺産に選定されてから急速に観光地化され、今では1日の観光客は1万から2万人になっているとのことです。
28年前の1992年にブンシローが訪問した時の1日の観光客数は仮に10人だとすると1000倍もしくは2000倍に増えたことになります。
28年前に1日の観光客数が100人であるとしたなら、6キロメートルの城壁の上を2時間以上かかって歩いていた時、一人以上の観光客に出会っていたはずですので観光客はごくわずかであったのは確かです。
観光地として開発し世界遺産に認定されるために、中国政府は1980年代に城壁の修理に力を注ぎ、平遥まで鉄道も開設したのでしょう。
ブンシローは1993年に訪問した時は太原からトラックに屋根を付けた乗合自動車に多くの中国人と共に備え付きの椅子に座って平遥まで行ったのです。
城郭都市そして国際観光都市でもあるチェンマイと平遥との比較
城郭について
平遥には明代の城壁がほぼ完全に残っていたがチェンマイの城壁はごく一部しか残っていない。
しかし、チェンマイにはお濠が残っている。
ブンシローが平遥そしてカルカッソンヌに訪問したくなったのは中世都市を彷彿させる城郭の堂々たる写真を見て惹きつけられたからです。
カルカッソンヌそして平遥に行けば、中世の町にタイムスリップしたように感じることできると思い出かけたのです。
チェンマイも復元した城郭とお濠の観光宣伝用の写真を公開すればさらなる観光客の増大になるのではと考えています。
一国の首都であったチェンマイと地方都市平遥との違い
チェンマイは13世紀から19世紀末までの約700年間、タイ北部を支配していたランナー王国の首都であったので独自の文化を形成し、それが現在も受け継がれてきている。
優れた伝統工芸品(織物製品、銀細工製品、木工製品等)が現在も残っており、数百年以上の歴史を誇るプラシン寺やチェディルアン寺のごとき古寺が旧市内に点在している。
また、チェンマイのほうが都市の規模がはるかに大きく、観光客を受け入れる宿泊施設が充実しているし、多様なレストランも多く食事を楽しめる。
チェンマイが国際観光都市としてさらなる発展を遂げるための私案
城壁の復元
城郭都市の威容をアピールするためには思い切った復元をして、完全に残っているお濠と共に観光用の写真を作成するのはどうでしょうか?
ヨーロッパの古い町並みが世界大戦で破壊された後に、残っていた資料を基にして見事に復元した例はいっぱいあります。
復元部分と遺構部分の違いをはっきりさせておけば問題点も少ないと思うのです。
旧市街を囲む6から7キロメートルお濠は完全に残っているのですから、このお濠と復元した城壁を写真に収め観光宣伝に使うと効果的であると考えています。
下の写真はターペー門近くのお濠です。
写真の右側が旧市街で、城壁のあった所はきれいさっぱりに取り除かれていますが、90年前の古い写真を見ると城壁の残骸である土堤が残っていました。
新市街に外側の城壁の残骸が残っていますが、90年前には旧市街の城壁もこれと同じ状態で残っていたのでしょう。
下の写真は新市街に残っている外側の城壁の残骸です。
700年の歴史を誇るチェンマイの文化遺産を旧市街に集中する
チェンマイ市内の各所にある博物館、美術館、伝統工芸館、古民家等の施設を旧市街に移すか、もしくは分館を設ける。
これらの諸施設と由緒ある古寺を結ぶ通路を歩行者及び自転車専用道路として観光客が街を自動車に脅かされることなく、ゆっくりと歩き楽しめるようにする。
フランスの国際的な観光都市で城郭都市であるかルかっソンヌは観光客を訪れるところにはすべて歩行者天国になっています。
観光客は街中では歩いて見て回るので、観光都市こそ歩行者優先を心がけるべきだと思います。
伝統工芸品関連事業を保護し、工房兼販売店を旧市街に移す
ブンシローはスクーターでフランス田舎巡りの旅をした時、田舎の町や村に工房兼販売店が日本よりも多くあるのに気が付きました。
陶磁器生産兼販売店、絵画制作兼販売店、家具製作及び修理兼販売店などです。
伝統伝統工芸品を製作している工房の販売用の小さな店が集中している通りもしくは広場が旧市街にあれば、観光都市チェンマイの魅力が増すことでしょう。
工房全体を旧市街に移すのは難しいと思うのですが、販売用のアンテナショップような店を旧市街に設けるのは可能であると思うのです。
南フランスの丘の上の古い町サンポール ド ヴァンス及びレボーを訪問した時、伝統工芸品や絵画販売用の小さなギャラリーが集中している通りを思い出して、上記のようなことを書いてみました。
まとめ
チェンマイ居住8年のブンシローが国際観光都市チェンマイのさらなる発展を願ってこの記事を書きました。
チェンマイには城郭都市の遺構、古い歴史のある寺院、優れた伝統工芸品を所有していますが、これら三点を歩行者専用道路歩もしくは行者専用道路でつなぐことができれば国際観光都市チェンマイはさらに発展すると思っています。
【付録】カロン窯の古陶磁からランナー王国の文化の素晴らしさを紹介
ランナー文化の素晴らしさは現在残っている伝統工芸品及び料理等から知ることができますが、タイ北部の古陶磁の素晴らしさはあまり知られていないようです。
ブンシローは古陶磁の収集、研究を続けて約30年間になります。
タイ北部に居住してからの17年間の間に骨董店、古道具屋、ガラクタ市に行き収集、研究を続けてきました。
15から16世紀のタイ北部に陶磁器産業は盛んになり、インドネシアやフィリピンなどに輸出されたのです。
ブンシローはタイ北部の窯の中でもカロン窯の陶磁器が最も素晴らしいと思っています。
ブンシローのコレクションの中からカロン窯古陶磁の優品を紹介いたします。
タイ北部のランナー文化の素晴らしさを感じていただければ幸いです。
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